【映像時間】

59分[525円]

【内容の一部紹介】

 自己、意識、世界(物質)。これらのうちどれが真の実在なのか?
古代インド哲学の一元論、二元論、サーンキヤ哲学、大乗仏教の唯識説、近代に至ってはデカルトの物心二元論、現代科学の唯物論など、様々な哲学の流派がありますが決着がついていません。また、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎は、一切の思慮分別を加えない純粋経験の主体である「知識」が唯一の実在で、物質世界や自己というものは存在しないといっています。
 存在を認めないが故に矛盾を解決できないでいるよりも、自己(アートマン)、意識、物質世界の3つの存在を認めて、それらの相互関係を調べる方が科学的なのではないでしょうか。
 仏陀が「無我」を説き、自己(アートマン)の存在を認めないその真意をつかむために、今回と次回の2回で「自己」の存在の有無について考察を進めていきます。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

47分[525円]

【内容の一部紹介】

 我々が「私」という言葉を使うとき、それは「自己」「心」「身体」の3つのどれかをさしています。この「自己」が認識する主体であり、有名な言葉《に非ず、に非ず》としか表現できない実在です。
 デカルトは存在を「精神的実在(心)」と「物質的実在」の2つに分ける二元論を唱えました。しかしこれらの中をいくら探しても「自己」は見つかりません。東洋の哲学は西洋哲学よりずっと深いのです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

68分[525円]

【内容の一部紹介】

 仏教には難しい問題があります。それは『仏陀が悟ったのは何なのか』が分からないということです。間違いなくブッダの教えであるという核の部分は、縁起、四諦(四聖諦)、八正道、および、中道の教えといえます。この核の部分でも、のちになされた解釈をみると、これはおかしいのではないか?というところが散見されます。
 この講座の目的は、仏教の正しい解釈についての私(講師:竹下氏)の見解を伝えることにありますが、今回はそれに至るまでに仏教の基本教義の一般論を見ていきます。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】
 
62分[525円]

【内容の一部紹介】

 今回は、仏教が当時インドで広く信仰されていたバラモン教の宗教観からどれほど逸脱し、独創的であったかについて説明します。
 バラモン教の世界では、神々への祈願や犠牲供養、祭祀を行い、功徳を積むことで天国に生まれ変わることを望んでいました。そして死を恐れませんでした。彼らが恐れたのは「再死」であり、天国で死んで、再び苦しみの多い地上に転生してくることを恐れました。そのため解脱を果たし転生しなくていい境地を獲得することを目指して修行をしたのですが、ままなりませんでした。
 そのような状況の中で、仏陀(ゴータマ・シッダールタ)が「自分は解脱をした」と宣言し、解脱への道を説いたのです。

注)バラモン教
古代のヴェーダの宗教とほぼ同一の意味で、古代ヒンドゥー教と理解してもよい。
バラモンとは司祭階級のことで、バラモンは祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持っていた。カースト制の一番上位の階級のこと。


【映像時間】

57分[525円]

【内容の一部紹介】

 仏陀は“自己(アートマン)の存在”を否定しています。これは、“自己は存在しない”と言っているのではありません。仏陀は、弟子を悟りへ導く非常に優秀な教師でした。彼は、弟子が苦から脱出するためには無用な形而上学的な議論に陥るのを避けるために、この種の質問には返答をしなかったのだと思われます。
 仏陀は五蘊(ごうん、スカンダ:色受想行識)という人間存在の構成要素を無常と喝破し、自己ではないと退けました。そこに解脱に至るための方法論があるのですが、それを後世の仏教徒は「人間の構成要素が無常なら、恒常の自己は存在しない」と、誤った拡大解釈をしてしまったと考えられます。
 仏典「サンユッタ・ニカーヤ」に記されている仏陀とカッチャーヤナの対話に、仏陀が自己の存在についてどのように認識していたかを知るための決定的な言葉が残っています。
(講演を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

70分[525円]

【内容の一部紹介】

 仏陀は自己や自性、宇宙などの形而上学的概念について語りませんでした。それは弟子に苦しみから逃れることに役立たない無意味な議論に陥らないため、ということもあったでしょうが、仏陀が沈黙した理由は別の所にあると思います。
 自己(アートマン)は非顕現で絶対に現れないし、言語で語ることもできません。しかしラマナ・マハリシは次のように言っています。「マウナ(沈黙)はイシュワラ・スヴァルーパ(神の自己)である。」と。
 自己の直接の現れである沈黙は表現することが出来るのです。
 最高の悟りを実現した聖者には「自己(アートマン)」は沈黙として現れる。従って、ラマナ・マハリシや仏陀は、弟子の質問に対してその回答を「沈黙」をもって示したと考えられるのです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

57分[525円]

【内容の一部紹介】

 仏陀が二度と生まれ変わらないことすなわち解脱を望んで修行をし、そこに到達したということは事実であると考えられています。
 一方、仏陀は人類史上はじめて解脱に到達した人物であるという説がありますが、古ウパニシャッドには、ブラフマンの悟り、アートマンの悟りを得た哲人の記録があり、仏陀以前にも解脱に到達した人たちがいるのは明らかです。仏陀が高く評価されている理由は、ウパニシャッドの哲人がブラフマン、アートマンを発見した喜びを詩的に表現したのに対し、仏陀は涅槃に到達したことを宣言し、そして解脱に至る道を非常に論理的に説いたためであろうと思います。
 仏教に九次第定という9段階の禅定があります。そのなかで最も高い禅定である『(滅尽定)』に仏陀は苦行の末に到達しました。この滅尽定の界層がどこであるというと、・・・。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
注)禅定(ぜんじょう)
真理を瞑想すること。また、それによって心身が静まった状態。


【映像時間】

70分[525円]

【内容の一部紹介】

 五蘊(色受想行識)は我(アートマン)ではない、という教えがありますが、重要な内容でありながら、ほとんど誰も正しく理解していないものの一つです。五蘊の「色(肉体)」は物質的存在という意味であって、他の「受想行識」は心・精神です。受→感覚、想→思考、行→意思、識→意識と訳されていますが、簡単にいうとこれは翻訳としては良い言葉ではありません。
 以前五つの身体についてお話ししました。
 コーザル体(原因体)、メンタル体(理智鞘)、アストラル体(意思鞘)、エーテル体、肉体。
 これらは単に身体です。例えて話すなら、科学者は人間には身体があって心は脳の働きであるといいます。実を言うとヨーガの世界はものすごく科学者的な発想で、肉体レベルの心は脳の働きと考えます。同じようにアストラル体の心、メンタル体の心があり、そしてコーザル体の心はハートとしての心です。
「無明」というのは、心臓の中にある「心素」の働きのことです。過去に記録されているものが無自覚に延々と繰り返され、似たものを送り返し、経験されたものが記録される、この果てしない流れ、これを「無明」といいます。
 次回のテーマは十二縁起なので、今回はその準備として無明や行とは何なのかということを説明します。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

63分[525円]

【内容の一部紹介】

 今回は仏教の重要な教義である十二因縁説(十二支縁起説)について説明します。
 まず、仏陀の教えの根幹である四聖諦の中の集諦では、妄執(渇愛)が輪廻の原因とし、そして滅諦では妄執を智恵によって滅することによって輪廻から逃れられ解脱すると教えています。どうやって智恵を得るかというと、それは道諦の八正道であると教えています。十二因縁説は、基本的には集諦と滅諦を十二段階に分けて詳細に説明したものと理解されています。
 十二因縁説が後世に与えた影響は計り知れません。それが仏陀が説いたものでなく、後の者が補完して整備したものであったにしても、重要なものなので避けては通れません。
 十二因縁説は、「無明ありて行あり、行ありて識あり、・・・」と、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死まで、無明から生・老死に至り輪廻の苦しみを受けるまでの連鎖を説明しています。そして無明を明智によって滅ぼす。大乗仏教の言葉ならプラジュナーという智恵によって滅ぼす。すると無明の滅によって行の滅、行の滅によって識の滅、・・・と、最後に生まれ変わりが滅せられるという教えです。
 注意すべきことは、十二因縁説の「愛」が集諦と滅諦の「渇愛」であることで、ゴータマ・シッダールタは渇愛によって輪廻すると教えました。一方、十二因縁説では、渇愛が起こる原因をさかのぼっていって、輪廻の根本の原因として無明にたどり着き、そして無明を滅ぼせば良いとしています。
 十二因縁説は精緻を極めていますが、一つ一つの言葉の意味が非常に難しいです。今回と次回に渡ってこれらの言葉の意味を詳細に検討します。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【映像時間】

55分[525円]

【内容の一部紹介】

 十二因縁説の一つ一つの項目に対して様々な解説がなされています。最も詳細で適切な解説はベックという方の「仏教」(岩波文庫)と思います。この本を用いて説明していきますが、内容が非常に難しいです。物質次元なのは、有、生、老死の3つだけで、それ以前は全部、アストラル体、リンガシャリーラ、微細体、幽体といった次元の微細な身体での出来事が書いてあるので、物理的次元の唯物的な考えしか持っていない人には解説することが出来ません。
 さて、サーンキヤ哲学の概念を先に押さえておくことは、十二因縁説を理解する上で役に立ちます。

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━━真我(プルシャ)━━自性(プラクリティ)
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━━━━━━━━━━━━覚(ブッディ)
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━━━━━━━━━━━━我慢(アハンカーラ)
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━━五唯(タンマートラ) 意(マナス)
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━━五大 ━━━━━━━━根(インドリヤス)

 サーンキャ哲学のいう自性(プラクリティ)が超感性的な根本質料であり、仏教で言うところの「無明」であるというのがベックの解釈です。基本的にこれでいいけども、・・・・。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)